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なたまめ いわき昔野菜図譜 其の弐 | いわき市役所

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Academic year: 2018

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(1)

な た ま め

大正の終わりから昭和の初めまでの食生活を 記した聞き書によると、豊間地区では、夏に、 さやえんどう、かぼちゃ、なすなどとともに、 なたまめも実り、成熟したマメは煮豆として、 ふだんにもハレの日のごちそうにも用いた様子 がうかがえます。

この「なたまめ」は(独)農業生物資源研究所 が昭和 61 年(1986)に行った作物在来品種の 探索調査のなかで、田人町旅たびうど人古ふった田地区の一農 家が、なたまめと呼ぶインゲンマメを作ってい た記録があり(平成 12年(2000)の残存調査で は消失)、インゲンマメの仲間と思われます。

今回の調査のなかで、「なたまめ」と呼ばれ る豆がいわき市内の複数の地区で栽培されてい ることが明らかになりました。その特徴は千差 万別で様々な種類を含んでいますが、昔から「な たまめ」または「なだまめ」の名前で呼ばれて いて、20 〜 30 年くらい前から「インゲン」と 呼ばれるようになったことが共通しています。 また、なたまめの中には、豆の形や収穫時期に 由来する名前を持つものもあります。

なたまめ

(2)

な た ま め

遠野の白なたまめ

実家で代々栽培していたものを継承し、以来、自家採種により栽培 しています。栽培者の記憶にあるだけでも栽培歴は約 70 年になりま す。昔は多くの農家で栽培されていましたが、支柱栽培に手間がかか ることから、つる無しの豆に切り替える農家が増えたなどの理由で、 次第に栽培されなくなっていきました。収穫した豆は砂糖で甘く煮て 食べます。栽培者は「煮えるのが早く、軟らかくておいしい」と言い ます。

平のなたまめ

栽培者が先代から継承し、以来、自家採種を続けて栽培しています。少なくとも栽培者の祖父の代 から作られており、栽培歴は 100 年以上になると思われます。

豆を煮て食べることもありますが、主に莢を食べます。軟らかい食 感が特徴です。

8 月 16 日の盆送りの日には、苧からむしの葉に「なたまめのよごし」「たば こ」「米」などを包み巾着状に結んだものを、仏様に持たせるお土産 にします。以前は十六ささげが用いられましたが、現在は、なたまめ が用いられています。

◆なすとなたまめのごまよごし

(3)

内郷の赤なたまめ・白なたまめ

いずれも近所の親戚や知人から種を譲り受けて以来、20 年以上自家採種して栽培しています。赤 いんげん、白いんげんとも呼ばれており、実のなり方や食感に若干の違いが見られます。

とした

とし

なたまめ 白なたまめ

◆収穫間近の白なたまめ

田人のおかめまめ

栽培者が実家の母から継承し、以来、自家採種により栽培されてい ます。栽培歴は 100 年になると考えられます。栽培者の家には「旧 暦の 6 月 1 日に蒔くとよい。なたまめの誕生日なのではずれが無い」 との伝承があります。「おかめまめ」の名前は豆の形が「おかめ」に 似ているところに由来しています。

間 た と

な た ま め

(4)

田人のおくさんまめ

栽培者が義母から継承し、以来、自家採種を続 けて栽培しています。栽培歴は 50 年以上になり ます。名前は「早わせ生」に対する「晩おくて生」に由来し ていて、別名「おくまめ」ともいいます。昔はほ かのなたまめと同様に栽培地周辺で作られていま したが、新しい品種の種子が販売されるように なったなどの理由で、次第に栽培されなくなって いきました。莢はおひたし、天ぷら、煮しめなど にして食べ、豆は甘く煮て食べます。莢は軟らか くモッチリとした食感が特徴です。

とした

遠野のなたまめ

栽培者が先代から継承し、以来、自家採種を続 けて栽培しています。栽培歴は 55 年以上になり ます。昔は近隣でも栽培されていましたが、栽培 に手間がかかることやあまり豆を食べなくなった ことが理由で、次第に作られなくなっていきまし た。

な た ま め

とした

白なたまめによく似たインゲンマメが、三和町差塩地区で栽培されて います。昔から地区内で種を融通しあいながら作り続けられてきました。 その後、差塩地区から川前町に嫁いだ方が起点となり、方々へと伝播し、 出所の三和町差塩地区を含めると、今回の調査で 3 件の栽培者が確認 されています。

種が伝播する途中で、「夏の土用の頃に蒔くとうまく作れる」という ことから「土用豆」と名付けられ、川前町川前、三和町合戸では土用豆 の名で栽培されていいます。

つる性ではありますが、子づる・孫づるが少なく、「いちず」などのインゲンマメに比べ葉はあま り繁茂しません。莢は平莢で 4 〜 5 粒の実が入ります。また、莢が熟すにつれて赤い斑紋が出ますが、 真っ赤にはなりません。豆は、地色が透明感がある白で斑紋はありません。

三和町差塩地区の栽培者によれば、かつてはお葬式などに甘く煮て茶菓子代わりに出したとのこと です。皮が薄く早く煮えるので重宝されました。

土用に蒔くから土用豆

(5)

平 幕 ノ 内 の な た ま め 栽 培 者 の お 宅 で は 、 お 盆 に な る と た く さ ん の お 供 え 物 を 用 意 し ま す 。 こ の 家 の お 母 さ ん は 、 お 嫁 に 来 た と き か ら ず っ と 、 養 父 母 に 教 わ っ た 盆 の 行 事 を 今 も 欠 か さ ず 執 り 行 い ま す 。 と り わ け 、 十 六 日 の 送 り 盆 の 日 は 、 早 朝 か ら 大 忙 し で す 。 か ら む し の 葉 に 、 な す と な た ま め の ご ま よ ご し 、 茶 ぶ か し な ど を 包 み 、 そ れ ぞ れ を 巾 着 状 に 結 ん で 仏 様 に 持 た せ る お 土 産 を 作 り ま す 。 盆 棚 や 仏 壇 に 飾 っ た ほ か の お 供 え 物 は 、 里 芋 の 葉 や 蓮 の 葉 で 包 み 、 盆 ご ざ で く る ん で ひ と ま と め に さ れ ま す 。 か ら む し の お 土 産 と 盆 ご ざ を 、 藁 で 編 ん だ 舟 に の せ 、 か つ て は 夏 井 川 に 浮 か べ て 、 仏 送 り を し ま し た 。 取 材 し た 方 は 幼 少 の 頃 、 藁 の 舟 を こ し ら え る の を よ く 手 伝 わ さ れ た と 言 い ま す 。 ご 先 祖 の あ り が た み が ま だ 理 解 で き な い 、 遊 び た い 盛 り の 子 ど も の 時 分 に は 、 そ れ は ひ ど く 面 倒 な 仕 事 だ っ た と 記 憶 さ れ て い る そ う で す 。 現 在 は 、 環 境 に 配 慮 さ れ 、 川 に 流 す こ と は せ ず 、 決 め ら れ た 回 収 場 所 に 持 っ て 行 き 仏 様 を 送 り ま す 。 こ の 風 習 が い つ 始 ま っ た の か 、 誰 が 始 め た の か 、 な ぜ か ら む し な の か は 分 か り ま せ ん が 、 寛 政 十 一 年 ︵ 一 七 九 九 ︶ に 、 西 平 窪 の 長 谷 川 安 道 と い う 人 に よ っ て 書 か れ た ﹁ 農 家 年 中 行 事 ﹂ と い う 書 物 の 中 に 、 次 の 記 載 が あ り ま す 。

十 六 日 は 、 送 り 盆 と て 、 精 霊 棚 を 壊 し て 、 川 に 持 ち 出 し 、 流 す 。 ま た 、 苧 の 葉 に 団 子 を 包 み 、 冥 土 の 土 産 と す る 。 あ る い は 、 白 瓜 、 真 桑 瓜 、 胡 瓜 な ど に 足 を 付 け 、 精 霊 の 騎 馬 と す る 。 誰 か が 始 め て 、 今 の 世 ま で 伝 わ っ て い る の で あ る 。

同 じ か ら む し の 葉 を 用 い て い る こ と か ら 、 お そ ら く 幕 ノ 内 の 風 習 も こ の 名 残 り で は な い か と 思 わ れ ま す 。 一 七 九 九 年 、 実 に 二 〇 〇 年 以 上 前 か ら の 風 習 で す 。 苧 ︵ か ら む し ︶ イ ラ ク サ 科 で 、 大 型 の 多 年 生 草 本 。 会 津 地 方 の 昭 和 村 は 、 上 布 原 料 の 産 地 と な っ て い ま す 。

なすとなたまめ ごま

しの の なため

(6)

平 幕 ノ 内 の な た ま め 栽 培 者 の お 宅 で は 、 お 盆 に な る と た く さ ん の お 供 え 物 を 用 意 し ま す 。 こ の 家 の お 母 さ ん は 、 お 嫁 に 来 た と き か ら ず っ と 、 養 父 母 に 教 わ っ た 盆 の 行 事 を 今 も 欠 か さ ず 執 り 行 い ま す 。 と り わ け 、 十 六 日 の 送 り 盆 の 日 は 、 早 朝 か ら 大 忙 し で す 。 か ら む し の 葉 に 、 な す と な た ま め の ご ま よ ご し 、 茶 ぶ か し な ど を 包 み 、 そ れ ぞ れ を 巾 着 状 に 結 ん で 仏 様 に 持 た せ る お 土 産 を 作 り ま す 。 盆 棚 や 仏 壇 に 飾 っ た ほ か の お 供 え 物 は 、 里 芋 の 葉 や 蓮 の 葉 で 包 み 、 盆 ご ざ で く る ん で ひ と ま と め に さ れ ま す 。 か ら む し の お 土 産 と 盆 ご ざ を 、 藁 で 編 ん だ 舟 に の せ 、 か つ て は 夏 井 川 に 浮 か べ て 、 仏 送 り を し ま し た 。 取 材 し た 方 は 幼 少 の 頃 、 藁 の 舟 を こ し ら え る の を よ く 手 伝 わ さ れ た と 言 い ま す 。 ご 先 祖 の あ り が た み が ま だ 理 解 で き な い 、 遊 び た い 盛 り の 子 ど も の 時 分 に は 、 そ れ は ひ ど く 面 倒 な 仕 事 だ っ た と 記 憶 さ れ て い る そ う で す 。 現 在 は 、 環 境 に 配 慮 さ れ 、 川 に 流 す こ と は せ ず 、 決 め ら れ た 回 収 場 所 に 持 っ て 行 き 仏 様 を 送 り ま す 。 こ の 風 習 が い つ 始 ま っ た の か 、 誰 が 始 め た の か 、 な ぜ か ら む し な の か は 分 か り ま せ ん が 、 寛 政 十 一 年 ︵ 一 七 九 九 ︶ に 、 西 平 窪 の 長 谷 川 安 道 と い う 人 に よ っ て 書 か れ た ﹁ 農 家 年 中 行 事 ﹂ と い う 書 物 の 中 に 、 次 の 記 載 が あ り ま す 。

十 六 日 は 、 送 り 盆 と て 、 精 霊 棚 を 壊 し て 、 川 に 持 ち 出 し 、 流 す 。 ま た 、 苧 の 葉 に 団 子 を 包 み 、 冥 土 の 土 産 と す る 。 あ る い は 、 白 瓜 、 真 桑 瓜 、 胡 瓜 な ど に 足 を 付 け 、 精 霊 の 騎 馬 と す る 。 誰 か が 始 め て 、 今 の 世 ま で 伝 わ っ て い る の で あ る 。

同 じ か ら む し の 葉 を 用 い て い る こ と か ら 、 お そ ら く 幕 ノ 内 の 風 習 も こ の 名 残 り で は な い か と 思 わ れ ま す 。 一 七 九 九 年 、 実 に 二 〇 〇 年 以 上 前 か ら の 風 習 で す 。 苧 ︵ か ら む し ︶ イ ラ ク サ 科 で 、 大 型 の 多 年 生 草 本 。 会 津 地 方 の 昭 和 村 は 、 上 布 原 料 の 産 地 と な っ て い ま す 。

なすとなたまめ ごま

し なすとなたまめのごまよごし し の た な

しの の なため

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